第一部 医療を考える
第一部 医療を考える
第1章 医療とは
第2章 「医療の担い手」を考える
第3章 医療の問題点
第4章 医療を選ぶ
第5章 医療行政を考える
第6章 医療の多様化を考える
第1章 医療とは
医療の概要
"医療"とは「医術で病を治すこと」(広辞苑)とされ、医師法では、医師の職分を「医療および保健指導を掌ることによって公衆衛生の向上および増進に寄与し、もって国民の健康な生活を確保する」と定めています。
また医療法によれば、医療は「医療を提供する体制の確保」を図り、「国民の健康の保持に寄与する」ことを目的とするもので、「医療の担い手と医療を受ける者との信頼関係」にもとづき「医療を受ける者の心身の状況に応じて行われる」ものとあります。
つまり医療行為は、単に治療のみに留まることなく、疾病の予防のための措置およびリハビリテーションを含む“良質かつ適切な行為”でなければなりません。
医療を選ぶ権利について
医療とは、患者の選択権に委ねられる性質を持ちます。誰にどんな医療を受けるかは、私たち一人ひとりが自由に判断できます。この権利がある限り、扱う療法が法的な医療制度のなかにあろうとなかろうと、満足して納得できる療法が生き残っていくことは今後も変わることはないでしょう。
医療は患者の利益を優先している
患者が医療業界に求めるのは、"可及的すみやかに苦痛を除去して健康を回復させること"にあります。医療制度は、いわゆる健康に関する福祉制度を保障する社会政策の一環です。
また、患者の期待や信頼に応えられない医師が、いつまでも患者を手放さないでいる問題は、医師としてのモラルハザードの表れともいえます。技能に限界があるのであれば、すみやかにほかの治療家に委ねるべきです。これは、資格制度や既得権益の問題ではなく、ましてプライドの問題でもありません。まぎれもなく「患者の利益」の問題であるといえます。
第2章「医療の担い手」を考える
国民のための医療とは
一般の方には専門的な医学知識がなく、医療の選択を誤る危険性があります。このような危険を避けるように、国は医療制度を法律で定めています。医療の従事者を認可するにとどまり、療法家一人ひとりの技能を認定したり、治療効果を保障をしているものではありません。単に、医療に従事することができる人間を示しているだけです。本来ならば、一人ひとりの技能を精査・認定して、誰の目にもわかりやすくするべきでした。そうすれば、医療事故は大幅に減少していたのではないでしょうか。
医師の医行為とは
医師が業務独占できる医行為とは、「医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ、人体に危害を及ぼし、または及ぼす恐れのある行為をいう」と判例により定義されています。この判断方法は、行為の態様、作用に着目して判断するもので、施術の実態が医業内容に確認されれば業務独占規定に抵触します。
そのため医行為は、犯罪などの違法行為でないかぎり、"適法行為"であると推定解釈されてます。その典型例にあたるのが、外科手術・注射・投薬・診断・放射線照射・採血などです。
国家資格は技能や専門知識を保証しない
国民の健康増進と公共の福祉のために法制化された医療の国家資格制度は、「技能」や「専門知識」で客観的に水準化されなければなりません。しかし実際のところ、個々の資格の内容は所定の修養カリキュラムと手続きをもとにしたもので、国民が期待する技能水準を示したり安全を保障するものではありません。つまり、どこで医療を受けても安心だという保障はなく、私たち一人ひとりが自分の症状に合わせて、最適な医療を選ばなければならないのです。
第3章 医療の問題点
化学薬品の功罪
化学薬品は、その毒性を治療に使います。そのため漢方薬に比べて、より早くより大きな効果が期待できますが、取り扱いには厳重の注意が求められ、医師や薬剤師の資格が必要となります。
最近、ある免疫学の専門家の著書に深い感銘を受けました。まさにさじ加減ひとつで「医療機関は人々を病気や苦しみから救っていますが、同時に、副作用により病気をつくることもある」のです。医療の現場や医療関係者なら誰でも思い当たることですが、これを医師の立場で指摘することはとても勇気あることだと思います。
投薬問題の実情(医師会と薬剤師会の関係より)
投薬問題について、2002年7月付の読売新聞の記事を紹介します。東京都港区の薬剤師会の会長が「介護が必要な高齢者らの一割強は、症状を悪化させる不適切な投薬を受けている」という主旨の論文を専門誌に発表しました。これに医師会が反発し、強い圧力をかけられて会長職の辞任に追い込まれました。この医師会の反発は、「薬剤師が守秘義務に違反し、かつ医師だけが持つ固有の既得権益である自由裁量権(診断権)を侵した」という趣旨の内容でした。しかしこの辞任劇は、「業務上で密接な関係を持つ医師と薬剤師の紛争が拡大することは避けなければならないことで、当事者間では問題点の白黒を明白にする意思がない」などの理由から、紛争の拡大をこれ以上は望まないという現実的な解決方法で決着しました。
この問題の決着の仕方は、医師と薬剤師の関係がこれ以上悪化しないよう、各関係者のさまざまな配慮があったと推測できます。
しかしこの問題の主役は患者です。薬剤師の守秘義務違反や個人情報保護の問題、また医師の裁量権の侵害問題にすり替えられた感があります。本質的には、薬学・生理学のプロでなければならない、医師の能力の問題であり、患者の権利の侵害の問題と捉えるべきでした。この問題を先送りするかたちで決着したのは、社会福祉や患者の人権の向上のためには非常に残念なことでした。
投薬問題の実情(テレビ特番より)
2005年3月25日にテレビ朝日で放映された『緊急3時間放送"ニッポンが危ない"』のなかで、出席した医師10数名(10年以上の経験者)の薬学の基礎知識を試す「飲み合わせが悪い薬がどれだけわかるか」という問題が出されました。その結果、回答者の平均得点は100点中20数点程度でした。出演した医師のいい訳として「薬の数が多いうえに、名前の似ているものが多く迷ってしまった」というものがありましたが、もちろん、これはいい訳ではありません。このようなことでは、医師の診断権や裁量権が泣くことになる、と思ったのは私だけではないと思います。
過剰診療と不当請求の支払拒否
また、2002年8月27日付の読売新聞は、厚生労働省が「病院など医療機関が健康保険組合など保険者に請求した2001年度の診療報酬のうち、約2,122万件、金額にして約2,000億円は不要な投薬や検査などに使われたとして支払いを拒否された」とする初の調査結果を公表したという記事が掲載されました。この記事は医療機関の過剰投薬や検査漬けの実態を明らかにしたものです。
不当な請求は支払い拒否できる、という事実を示したことはたいへんに有意義なことです。
第4章 医療を選ぶ
医師の評価は治療技能と経験そして人格と見識
現代医学は「解剖学に基づく外科手術」「細菌学に基づく抗生物質の開発と利用」「免疫学に基づく伝染病の予防」に加え、他の医療の追随を許さない優れた業績をもっています。現代医学は健康に対する不安を和らげ、信頼を醸成する大きな役割を果たしてきました。今後もさらに発展を遂げ、社会に多大な貢献をしていくことは間違いありません。
しかし、現代医学がどれだけ優れた特性を持っていても、医療知識や医療技能は医師一人ひとりの、個人の努力と研鑚そして経験の積み上げにほかなりません。これができる人間が評価を受け、できない人間が評価を受けるということはありません。
医療の選択権とは医師を選ぶこと
現代医学があらゆる症状に対し適切な治療を行えるわけではありません。得意分野があれば不得意分野もあります。医師資格があっても「このレベルで患者が求める医療といえるのか」と評価されるようでは資格が泣くことになりますが、医師の治療であっても、医療選択権の対象から逃れることができない、と考えることはごく普通の道理なのです。
医師個人には大きな能力差がある
たとえば外科手術、なかでも現代医学を象徴する高度先進医療や大外科手術などは、高度の技術を持つ医療スタッフと質・量ともに十分な施設と設備が整っていることを前提にしています。そのうえで執刀医が数多くの症例数、かつ高い成功率を持っていることが必要です。
もし特別な外科手術を受けることになれば、執刀医が本物の専門医であるかどうかを確認することが大切です。医師資格があるからといって、闇雲に信頼し、簡単に生命を委ねることは賢明な行動とはいえません。逆に外科医自身は、これからやろうとしている外科手術が何であれ、自分自身の能力が十分なものであるかどうかを認識しています。
「医学の進歩のために」という古典的な考えから、他人の生命を外科手術の鍛錬に利用することは許されません。この大義名文は、疾病が逼迫した状態にあり、かつ外科手術の緊急性が高いにもかかわらず、ほかに方法がない場合などに限ってやむを得ず用いるものです。医師個人の興味や冒険心、いわんや功名心のためにみだりに用いることなどあってはならないことです。このような場合には、医師個人の医療技能が世界水準の治療能力と比較して、どの程度のものであるかどうかが問題となります。
医師の治療能力を知ること
生命を委ねるからには、医師の具体症例数や成功率を聞くことは決して失礼なことではありません。 もし、医師個人の治療経験が足りなければ、十分な経験を積んだほかの医師に代えるか、高い成功率を持つ医療機関の紹介を受けるほうが賢明です。
このような特別な外科手術でなく、ごく一般的な手術でも医師の技能が未熟であれば危険性はたちまち低下します。外科医をきちんと育成するシステムがあるのかどうか疑いたくなる事例を、見聞きしたことがあると思います。「医師免許さえあれば誰でもいい」といって医師の募集をしている病院があるのは事実です。資格さえあれば健康保険が適用される治療行為を増やしてしまっているのです。
医師の信頼度は治療能力の力量で決まる
驚くべきことに、世間では、病院の建物や什器備品・設備が立派かどうかで、医師の能力を計る傾向がしばしばあります。医療設備が充実していることはたいへん結構なのですが、実際に診察や治療をするのは医師です。重要なことは、ひとりの担当医の個人能力です。
医師資格のみで病気が治せるわけではありません。たくさんの具体症例を経験した医師の治療技能のみが、病気に立ち向かえる資格といえるのです。
医師の治療能力(日本麻酔科学会の調査)
2005年5月26日付の読売新聞に、手術中の大量出血の45%が外科医のミスであるという日本麻酔科学会の調査結果が掲載されました。この調査は、設備やスタッフが充実し、安全な麻酔措置ができると同学会が認定した782病院の麻酔科医に書面を送付する方法で2003年の終わりから2004年初めにかけて実施されたものです。
これによると、2003年1〜12月の1年間に危機的な大量出血が541件発生し、166人が出血が原因で手術中か、その直後に死亡したということです。その原因を探ったところ、外科医の判断や技術に問題があったとする回答が、有効回答数476件のうち216件(45%)ありました。手術の難易度や血液供給システムの不備など複数の要因が考えられますが、より詳細な検証に取り組む必要があるとのことです。
医療機関の治療実績の情報公開「中間報告」
医療機関の治療実績を公開することに関して、政府の規制改革・民間開放推進会議が2005年7月14日に次のような原案を明かしました。
「患者の死亡率や治癒率、再入院率など、医療機関を選ぶ目安となる治療実績の情報公開を2005年度中に医療機関に義務化して公開させる必要があると提唱しました。このため、医療法の一部改正が必要となりますが、公開に関する指針の策定と、情報を蓄積する仕組みを提唱しました。社会保障審議会(厚生労働大臣の諮問機関)の医療部会でも治療実績を広告できる新制度を検討していますが、実績の算定方法に関して議論がまとまるのを待っている状況です」(読売新聞 2005年7月15日付)
このように、もっぱら医師の自由裁量に委ねられてきた医療が、このままでは危ないと考える方が増加しており、医療を変えたいという社会的な風潮になっています。
高度医療の「特定機能病院」の信頼失墜
軽症患者が大病院に集中することを避け、病院の規模や機能に応じた診療体制を整えることを目的として、1992年に制度化された特定機能病院の信頼が失墜しています。この制度は、高度な医療を提供する病院として診療報酬上の優遇を公的に認めていますが、現在では、原則としてすべての大学病院の本院が承認されています。しかし執刀医の技量不足による患者の死亡が複数の大学病院で相次ぎ、承認が取り消されるという事態が生じています。
これについて、厚生労働省社会保障審議会医療部会は7月28日、特定機能病院が必ずしも高度な医療を提供しているとは限らないとして、来年の通常国会でこの制度の医療法を改正するという意見を取りまとめました。新制度は、手術実績や先進医療への取り組み状況、医療ミス防止策の徹底などを考慮し、新たに承認条件を設ける方向で協議に入るということです。(読売新聞 2005年7月28日付)
信頼されない日本の専門医制度
専門医資格の取り消し問題について、2005年4月8日付の読売新聞で、未熟な医師の外科手術の失敗による死亡事故の防止に関して次のような解説記事が掲載されました。
「未熟で知識も乏しい医師が専門医として認定され、大学病院の中心医師としてメスを振るっている。日本の専門医制度は甘すぎる。各学会が認定する専門医資格の基準はそれぞれ違うものである。実技試験を行う学会は少なく、研修会に出席すれば比較的簡単に取得できる専門医資格が多すぎる」。これに対して、ある学会の幹部は「厳しい基準にすれば、レベルに達しない会員の不興を買う。学会は会費頼みの組織である以上、ある程度の人数が取れる資格にせざるを得ない」と胸のうちを明かしました。その結果、全国の医師26万人に対し、延べ30万人がなんらかの専門医資格を持つ粗製乱造になっているのが実態です。
専門医制度ができた目的は、患者に対して質の高い医療を提供するためのものです。学会の論理を優先して安易に専門医の看板を与え、結果として、患者の安全を確保できないのでは本末転倒もはなはだしいという内容です。
日本の専門医制度に改革の動きがある
2005年8月19日付の読売新聞に「日本医学会と日本医師会が昨年(2004年)11月に発足した専門医に関する検討会で、専門医の実技試験や定員制・年齢制限などの改革により、専門医制度の改革を協議した」という記事が掲載されました。医師の既得権に触れる問題があるなかで、画期的なことのように思えます。
日本胸部外科学会など三学会でつくる「心臓血管外科専門医認定機構」は今年から手術の実技を認定審査に加えることを決定しました。同機構の専門医は約1600人ですが、本来は執刀医として20件以上の手術経験があることに加え、筆記試験に合格すれば認定されることになっていましたが、実際には手術の技術評価はなく、未熟な医師が専門医資格を得るケースがありました。現在、120種類ある専門医のうち、外科手術の実技試験を認定しているのは10学会程度です。
日本内視鏡外科学会の技術審査の合格率。そして危険な手術例
日本内視鏡外科学会が2005年に行った消化器・一般外科の技術認定審査の実例では、受験した医師数422人の合格率は53%でした。
実際の手術例の実例を2005年8月19日付の読売新聞の掲載記事から紹介します。「直腸がんになった茨城県つくば市のT.Zさん(68)は『傷が小さく回復も早い。99%安全です』と医師にいわれ、腹腔鏡手術を受けた。ところが腹膜炎を起こしたうえ、排便や性機能に重い障害が残った。腹膜炎の原因は、手術器具で誤って腸壁に穴が開いたためと見られている。手術を担当した3人の医師は、いずれも日本外科学会などの専門医資格を持ちながら、腹腔鏡手術での直腸切除の経験がないか1件だけだった。事故の翌年の2000年、『手術ミス』と病院を提訴し係争中だ」
また読売新聞が昨年末、全国の病院に実施した調査でも、胃がんの腹腔鏡手術を行った311施設のうち、年間手術件数が10件に満たない施設が70%を占めたという結果が出ています。
医療ミス
医療ミスの防止策について、2005年6月8日付の読売新聞に、厚生労働省の医療安全対策検討会議が、医師や看護師の研修に医療事故の被害者を招くなど、国民・患者の主体的な参加を医療安全対策の新たな柱とする報告書をまとめました。これまでタブ−視されてきた被害者の声を取り入れることで、医療者の安全意識を高め、患者の理解や協力を促したいとする試みです。これは縦割り組織の病院では、悲劇から学ぶ姿勢も乏しく、医療安全の当事者意識が芽生えにくい状況がつづいていることを踏まえて取り組もうとするものです。
医師の選択は、患者にとってはとても難しい問題です。医師の当たりはずれにより、生命を失い、健康を失うことがあるのです。
医療事故の本質
医療事故の本質的な原因は、施術者の技量の問題であり、療法の問題ではありません。医師であろうと医療類似行為者であろうと、経験や技能が未熟な者は事故を起こす可能性が高くなります。事故は不注意や予見不足により起きるものです。予測不能の状態により起こったなどという稀な事例がしばしば発生してはなりません。とくに患者や顧客との信頼関係がない場合は事故発生率が高くなる傾向があります。
第5章 医療行政を考える
医療制度には欠陥がある
制度とは、簡単にいえば、その業務を行うことに関して法律の定めがあるかどうかということです。医療に関する法律は、医療従事者の要件を定めるのみで、業務の定義、業務の内容や範囲を定めていません。法律が将来の医療を見通して、すべてを網羅するなどということは不可能です。せいぜい、その時代の政治的なニーズに応えるのが精一杯なのです。 このため有資格者は、資格に付随する既得権を拡大解釈する傾向にあります。できもしない技法やテクニックでも自分の業務内容であると思い込み、新規参入者を排除しようとする笑えない事実があります。理由は簡単です。自分の業務が侵害を受けたと思い込む被害者意識を持つ体質に原因があるのです。
現代医学は守備範囲が広く、専門性も多岐にわたります。ひとりの有能な医師が何でもできると考える方はほとんどいないと思います。しかし医師資格があれば、何でもできてしまいます。すべての治療行為は医師の正当行為です。不幸の結果は患者に転嫁されてきたケースが少なくないことは、関係者なら誰でも知っている事実です。
日本の医療行政の特徴
いつも不思議に思うことがあります。日本の医療機関が患者に投与している薬、あるいは市販の薬には、重要な注意書きとして「用法」「用量」の記載がありますが、服用期間についての表示はまったくありません。服用期間について、行政指導する意思がないのは不思議です。これは欧米の医療先進国が服用期間の明示を義務化していることと比較すればとてもおかしなことです。
欧米の政府は、まず国民の顔を見ながら医療業界との調整を図っています。日本の医療行政は長年にわたり医師会や製薬会社の顔しか見てきませんでした。これが日本の医療行政の特徴です。
医療制度は誰のためにあるか
薬の大半は、人類の智恵が生んだ化学薬品です。
さまざまな物質から科学的に抽出した、いわゆる毒性を薬効成分として組み合わせて精製したものです。これに救われた多くの方々がいますが、そうでない方々も少なからず存在しています。化学薬品は、その性質上、本来の目的である主作用ばかりでなく、不本意な副作用をともないます。服用期間はこの副作用が軽い安全な期間の目印となるものです。この期間を超えれば、本来の目的とする主作用の効果よりも副作用のほうが強くなるので、飲めば飲むほど毒性が勝ることを意味しています。医療の自由裁量権を持つ一人ひとりの医師の処方箋によって、いつまでも化学薬品が投与できる医療制度をこのまま放置すれば、誰のための医療制度なのかわからなくなります。
医療行政が健康保険の破綻を招く
医療行政の特質をいえば「国民の顔を見ながら医療行政が行われている」という現象は未だかつてありませんでした。医療行政は、医師会を中心とした業者団体(医療を施す側)に対する既得権の利害調整にありました。政治圧力の強い医師会が一人勝ちする独壇場で、医師に医療のすべてを委ねるかたちで行われてきました。行政が国民の福祉向上のために医師会と対決して、説き伏せたという歴史はまったくありません。
国民皆保制度にもとづく国民健康保険制度はこの延長線上にあって奪い合いのパイとなってきました。医療の自由裁量権を持つ一人ひとりの医師の処方箋によって、世界トップクラスの大量の化学薬品が患者に投与され続けるなかで、健康保険は破綻の危機を迎えようとしています。
医師会に有利な診療報酬を改定する動きがある
診療報酬を決める中央社会保険医療協議会(中医協)の改革を検討してきた厚生労働省の「中医協の在り方に関する有識者会議」は、2005年7月20日、以下のことなどを柱とする改定案を決めました。
1)診療報酬の改定率決定についての中医協の権限を縮小する
2)中立的な立場の「公益委員」を増やし、患者の声を中医協に反映しやすくする
これは従来より問題視されていた日本医師会中心の委員構成を見直し、患者の声を医療費の決定過程に反映する仕組みをつくろうとする改革案であり、中医協が診療報酬点数の設定を通じて医療政策を医師会に有利に誘導してきた、という批判の現れです。なお中医協に代わって、診療報酬の改定に関する基本的な医療政策の審議を行う場として、社会保障審議会の医療保険部会や医療部会が挙げられています。(読売新聞 2005年7月21日付)
医師国家試験には医師の既得権が強く干渉する
医師資格を認定する医師国家試験について疑問があります。厚生労働省医事課に確認したところ、"現役"といわれる医学部卒業予定者の合格率は95%とのことでした。外国(とくに中国)において医学部卒業者は、予備試験を受けて合格しなければ、医師国家試験(本試験)を受験できない仕組みになっています。この予備試験の受験者が毎年30人前後あり、その合格者が5%ということでした。つまり、毎年1名程度しか合格できないということでした。
中国の医学部は、日本の医学部より修業年数が1年短く(中国も6年制に移行予定)、科目数が若干少ないという違いがあります。しかし中国の医学部が日本の医学部と比較し格段劣っているとは聞いたことがありません。卒業するのも楽ではないといいます。受験生は全員日本人で語学力に問題もありません。これで合格率の差が90%も違うものだろうか。予備試験の合格ラインは本試験に比較して特別仕様のハ―ドルで運用されていると考えられています。
このままでいいのか医師国家試験
一般的に国民に広く知られている超難関の国家試験といえば、司法試験や公認会計士試験が有名です。 世間ではこれと同等か、むしろそれ以上の評価を受けている医師国家試験ですが、その既得権から受ける恩恵の大きさを比較すれば、そのなかでも圧倒的に有利だといわれています。これらの資格者を養成する各学部の合格率・合格者数を比較してみると、圧倒的に医学部が多いことがわかります。
法学部・商学部の学生は、わずか数パ―セントしか司法試験や公認会計士試験に合格できません。これは厳しい実力試験といえます。前述の学部を持つ大学は国内に数百校もありますが、大半の大学がただひとりの合格者さえ出していないのが実態です。これは大学間に歴然とした格差があることを示しています。大学間の格差において医学部のみが問題にならないのはとても不思議です。これと比較すれば医師国家試験は受験者にとても甘い制度だという見方ができます。現役受験者の95%が合格する医師国家試験の仕組み、選考方法や運用方法がどうなっているのかとても興味があります。人の生命を委ねなければならない医師の資格がどの程度のものなのか、誰でも知りたくなります。普通の感覚では、この制度は説得力がない制度だと思います。
日本は医療先進国か?後進国か?
しかしここには日本独自の資格制度の信頼を損なう価値観があります。資格の中身は「その医療行為を行うに相応しい医学知識と十分な経験を積んだ熟練の技能」であるべきです。医師資格があるからといって「迂闊に治療を行って医療事故を起こしたのなら、責任軽減は何ら必要なし」と考えるのが世界水準である欧米の医療業界の見識です。
患者の立場からすれば、満足な経験も信頼もない医師に、自分の命を委ねることなどできないのは当然です。医師の冒険は、患者に対する十分な説明と納得のうえで行うべきです。もしこれを怠れば、それは単なる犯罪行為です。
日本の医療制度のように「医療行為のすべてを医師に委ねる」という政策をとる国は、欧米の医療先進国にはありません。医療技能は数千種もの膨大な量があり、どれにも精通している医師が実在するはずもありません。実際に人間の病気や心身の不調は無数にあるわけですから、これに対応できるだけの医療技能が必要となることは自然の理です。国民の健康に対して本当に責任を感じる医療行政であるならば、医療の多様化は避けられるものではありません。これを放置したり、禁止しようとする政策をつづければ、行政は自らの存在価値を否定することになります。
第6章 医療の多様化を考える
医師の既得権が医療制度の改革を妨げる
1874年の医制の改革により、日本の医療制度はいわゆる西洋医学の医師が中心です。現在の法秩序の下でも医師に医行為のすべてを委ねるのが医療制度の根幹です。医業は医師の独占業務領域であり、医師は国家によって大きな既得権を与えられています。そしてこの既得権を守るために、その他の医療類似行為者の新規参入に対して、断固とした拒否反応を示してきました。欧米であれば典型的な独占禁止法違反です。
医療行為のすべてを医師ができるか
現行の日本の医療制度では、医療行為のすべてを医師に委ねるということが基本原則と述べました。しかし社会情勢の変化により、はり・きゅう・あんまマッサージ指圧・柔道整復などの医療類似行為に対する資格が生まれました。これらは、医師の業務とは関係のない療法なので、医師の既得権を侵害するものではないと一般的に考えられています。
では、整体・カイロはどの医業資格の既得権者に属するのでしようか。実は、いかなる医師の業務領域のものでもありません。既存の法律が認識してきた療法の概念とは異なるものです。つまり各法律が予定していなかった医療カテゴリーの概念です。私たちが日常の業務としている整体・カイロの手技療法を医師の手で行えば、世論は大歓迎するでしょう。
しかし、この療法は手のテクニックの熟練を要するうえに、ひとり当たりの施術時間が比較的長く手間がかかります。仮に、新しい施術システムを提案したとしても、ユーザーは以前の施術内容と比較して、サ−ビスが低下したと感じるでしょう。また医師がこの技能を取得するとしても、手を挙げる医師はほとんどいないと思います。先にあるのは著しい業務効率の低下でしかないからです。
整体・カイロは、多くの人員を使って流れ作業で対応するものではありません。必ず、即効性が目に見えないと支持されないのです。ユーザーが望む対応ができて、満足させられるのは熟練の施術師のみです。いわゆる「労多くして利益が少ない」というマイナス要素がありますが、この手技療法は医療機関の経営を圧迫することは確実であり、現行の保健医療システムでは実現の見込みはないでしょう。むしろ医療機関としては、費用と効果の経営判断からみれば、整形外科的処置を続けられる状態のほうが効率がよいといえるのではないでしょうか。
医療制度は国民の福祉にかなう変革が求められている
医療制度は、本来的には何が国民の福祉にかなうものであるか、再検討すべき段階にきていると思います。たとえば米国のように国民投票で国民の信を問うのもひとつの解決策ですが、政府が国民を信頼しない限りこのような方法は取るはずもありません。結局は、国民一人ひとりが受けたい療法を自分の意思で選択している様子を見守るほかないといえます。
医療制度はいずれ国際水準化に向かう
日本が医療の先進国を目指すためには、資格がすべての判断基準となるのではなく「何がどの程度できるのか」を基準にすべき段階にあります。医師自身も、国際水準にもとづく「専門医制度」に移行していかなければ、国民の信頼をつなぎ留めることが困難になります。
医療の自由化と多様化
現代の医療は自由化と多様化を求められています。医師を中心とする医療の独占システムのみでは、もはや国民の信頼をつなぎ留めることはできなくなってきています。患者本位の医療体制の見直し、医療システムの再構築が求められています。保険制度の破綻が明らかになるにつれて、この動きは避けられないものとなるでしょう。

